自己紹介
初めまして、しゅんぴー(Shun_PI)と申します。
自己紹介を兼ねて、主な経歴と実績を簡単に記載しておきます。
- World Tour Finals 2026 Heuristic 優勝
(競技プログラミングの一分野である「ヒューリスティックコンテスト」の世界大会) - Kaggle Grandmaster
(世界で最も有名な機械学習コンテストプラットフォームにおける最高ランクで、日本国内では100人弱程度) - 東京大学工学部卒、大学院修士課程中退
2026年7月7日から8日にかけて開催された「World Tour Finals 2026 Heuristic」で、私は優勝することができました。
これを機に、世界大会で優勝した私が、それ以前にどのような人生を送り、何に苦しんできたのかを客観的に振り返ってみようと思います。また、将来私と同じような状況に陥る人に、私の人生を一つの反面教師として知ってもらいたいという思いもあります。
普段は、あまりこうした自分語りをするつもりはありませんが、さすがに世界大会で優勝した直後くらいは許されるだろうと思いました。こういう記事を書くのは今回限りにするつもりなので、何卒ご容赦ください。
高校時代まで:自分の才能と向き合えず、コミュ障をこじらせる
結論から言うと、少なくとも私が通った公立小中学校には、次の二つの傾向がありました。
その影響で、私は「極度に対人関係を恐れる」「自分の能力と向き合わず、封印する」という性格になったのだと思います。
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知的な特技や趣味に対するイメージが、教師・生徒の双方からあまり良くなかったこと
「文武両道」が強く是とされ、運動部や、体育会系の色が強い文化部に所属していない人は、その時点で低カーストや変人として扱われがちでした。不良グループから標的にされやすいという側面もありました。
知的な能力を伸ばすことを積極的に奨励する風土は、ほとんどありませんでした。学校内で「人権」を得るためには、たとえ運動が苦手でも運動部に入らざるを得ない、そう感じられる環境でした。
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自分の能力がどの程度のものなのかを知る機会がなかったこと
他人との比較から、漠然と「自分は理数系に強いらしい」ということまでは認識できました。しかし、同じような能力を持つ人が周囲にいなかったため、自分の能力が具体的にどの程度のものなのかを知る機会がありませんでした。
そのため、「自分の才能にリソースを投入するべきか」という重要な判断を、適切に下すことができませんでした。
高校は進学校だったため、このような風潮はかなり弱まりました。
しかし、その頃にはすでに重度のコミュ障をこじらせており、学生生活にも大きな支障が出ていました。また、勉強、特に理数系が得意であることを自信にすることができず、むしろ隠したい、目立ちたくないという意識が残り続けました。
大学時代:自分の能力が評価されないと感じ、東大に絶望する
もともと勉強は得意だったため、塾や予備校には特に通わず、なんとなく東京大学に現役合格しました。
東大には、能力や関心の近い人が大勢おり、本来であれば、彼らとの関わりを通じて自分の能力や立ち位置を知ることができたはずです。しかし、すでに重度のコミュ障をこじらせていた私は、当初いくつかのサークルに入ったものの、すぐに孤立しました。
結果として人間関係を断ち、ただ単位を取得するためだけに大学へ通うようになりました。
人との関わりを断つと、「自分には集団の中でどのような長所や短所があり、どのような能力に優れているのか」を知る機会も失われます。
自分以外に誰もいない無人島で、生涯暮らすことを想像してみてください。比較対象となる人間がいなければ、自分の長所も短所も、性格すらも、分からないはずです。
その結果、私は「自分の能力を数値で明確に評価してくれる存在」として、音楽ゲーム(ビートマニア・発狂BMS)や「League of Legends」のような対人ゲームに熱中するようになりました。
大学4年生は、卒業論文という明確な目的を与えられたことで研究に熱中しました。最終的には、200ページ弱という、おそらく学部内でも特に分量の多い卒論を書き上げ、発表しました。
しかし、賞をもらうことはなく、卒論のどこが良く、どこが悪かったのかについて、何らフィードバックを得ることもできませんでした。
当時の私は、卒論に費やした膨大な時間に見合うものが何も返ってこなかったように感じました。
「何のためにここまでリソースをつぎ込んで卒論に取り組んだのか分からない」
「適当に10ページくらいのコピペ論文を書いて卒業できるなら、その方が良かったのではないか」
そう考えるようになり、研究への興味は急速に薄れていきました。
一方、ゲームでは自分の成果に対して、ランクやレーティングという明確なフィードバックが返ってきます。私はますますゲームにのめり込み、そのまま大学院を休学したのち中退し、ニートになりました。
ニート時代:希薄な人間関係と、歪んでいく自己評価
大学院中退からニート時代にかけて、私は他人との関わりを本当に断った生活を送っていました。
せいぜい2ちゃんねるのなんJ板などに書き込む程度で、それがほとんど唯一のコミュニケーションになっていました。
ここまで人間関係が希薄になると、自分の長所や短所、性格を客観的に分析することはほぼ不可能になります。私は次第に、「自分は学歴以外に何も持っていない人間だ」という歪んだ自己評価を強めていきました。
一念発起して就職活動を始めても、面接で聞かれるのは、多くの場合「他人との比較を踏まえた自己評価」です。
「あなたの長所は何ですか」
「集団の中でどのような役割を担いましたか」
「他の人にはない強みは何ですか」
他人と比較する機会そのものを失っていた私は、こうした質問にまともに答えられませんでした。
後から振り返れば、将来、競技プログラミングの世界大会で優勝し、Kaggle Grandmasterにもなれるような人間だったはずです。それでも当時の私は、自分の能力をまったく説明できず、面接に次々と落とされました。
最終的には、学歴のおかげでどうにか内定を得た中小SIerに就職しました。
この時点では、はっきり言って、私は「学歴だけの人間」のまま、何らかの界隈で名前を知られることもなく人生を終える確率が9割以上だったのではないかと思います。
逆に言えば、ここから先の私の選択は、相当に幸運に恵まれていました。
社会人時代:競プロとの出会いと、自分の能力の発見
時は2017年4月。
入社後のプログラミング研修をきっかけに、私は競技プログラミングの存在を初めて知りました。はっきりとは覚えていませんが、おそらくPaiza、AtCoderの順で知ったのだと思います。
結論から言えば、この時点で競プロに手を出したことは、次の三つの点で非常に幸運でした。
1. 理数系の能力を、客観的かつ定量的に評価してくれるプラットフォームだった
競プロは、「理数系の能力に対して、人間関係に左右されることなく評価を与えてくれるプラットフォーム」として、信頼性が高く、ほとんど唯一無二の存在でした。
「人が人を評価する」タイプの世界では、人脈も実績もコミュ力も持たない私が、上位に進むことは極めて困難です。
一方、競プロは、コンテストでどのような順位を取ったかによってのみ評価されます。レーティングという定量的な指標が価値を持つコンテンツであることは、私にとって必要な条件でした。
2. AIブームによって、プログラミングやアルゴリズムの価値が上昇した
2010年代後半以降のAIブームにより、プログラミングやアルゴリズムに関する能力の社会的価値は急速に高まりました。
それに伴ってAtCoderの規模と知名度も拡大し、コンテストでの実績が就職や転職において評価される機会も増えていきました。
3. Kaggleやヒューリスティックコンテストへの道が開かれた
AIブームに伴い、機械学習コンテストであるKaggleや、ヒューリスティックコンテストも存在感を増していきました。
これらのコンテストは、競プロとの親和性が非常に高い分野です。
競プロのアルゴ部門においては、私は突出して強いわけではありません。しかし、最初に競プロに触れたことで、Kaggleやヒューリスティックコンテストを含む、より多くの競技の存在を知ることができました。
一言で言えば、競プロと、それに連なる各種コンテストは、私の人生における「逆転の一手」として、まさに最適解だったのだと思います。
同時に、この時期のAIブームは、私のように「学生時代は思いどおりの人生を歩めなかったが、理数系の才能はある」人間にとって、ある種のフィーバータイムだったとも思います。
その後の経歴は、調べれば分かることなので手短にします。
2019年頃に、現在勤めている会社へAIエンジニアとして転職し、直後にKaggleへ参加しました。2021年にはAHC001の開催をきっかけに、ヒューリスティックコンテストにも参加するようになりました。
2024年、KaggleのUSPTOコンペでSolo goldを獲得し、Kaggle Grandmasterを達成しました。
そして2026年、ヒューリスティックコンテストの世界大会で優勝しました。
「救世主」としての競プロと、その普及に対する願い
私にとって、競プロはまさしく「救世主」と呼べる存在です。
一方で、「私だけが極端に特殊な存在ではない」と仮定するならば、私と同じような境遇にいる人は、大勢いるはずです。
本当は理数系の類稀なる能力を持っているのに、そのことに気づけていない人。
自分の能力を発揮することを恐れ、才能を隠してしまっている人。
適切な比較対象や評価の場がないために、「自分には何もない」と思い込んでいる人。
そのような人たちが一人でも多く、競プロをはじめとする各種コンテストによって救われてほしい。それが私の心の底からの願いであり、競プロやヒューリスティックコンテスト、Kaggleを普及させたいと思う理由でもあります。
中高一貫の名門私立校が科学オリンピックなどで非常に強いのは、そこに所属する生徒が「自分の能力を高い解像度で認識できる」環境を持っていることが、大きな理由の一つだと思っています。
周囲に同じ分野が得意な人がいる。自分より少し強い人や、圧倒的に強い人がいる。大会や指導者の存在を早い段階で知ることができる。
そのような環境があれば、自分の才能を認識し、適切な方向へリソースを投入できます。
一方、世の中には、本当は科学オリンピックで入賞できるほどの可能性を持っていたにもかかわらず、それに気づく機会すらなく、才能を発揮することを恐れたまま、可能性を失ってしまった人も大勢いるはずです。
私も、例外ではなかったと思います。
ただ私は幸運に恵まれ、30代になってから、ようやく自分の中に新たな可能性を見いだすことができました。
少なくともAIブーム以前には、「コミュ力至上主義」とでも呼ぶべき時代がありました。
理数系の能力など、数学科で研究を極めるような一部の人を除けば、実社会では大した価値がない。そのように扱われる風潮は、実際にあったと思います。
そのような風潮の中、自分の才能を試す機会すら得られないままいる人が、大勢いるのではないかと思います。
しかし現在は、誰でも競プロやKaggleを通じて世界中の強者と戦い、自分の能力がどの程度の位置にあるのか、手軽かつ客観的に知ることができます。
2020年代前半は、AIブームによって、奇跡的にも理数系能力に対する評価の風向きが変わった時代でした。
一方で、AIが強くなりすぎて、理数系能力において人間を上回る成果を出し始めたことで、理数系能力への風当たりは再び強くなりつつあります。競プロについても、生成AIを利用した不正の影響によって、評価システムそのものの信頼性が揺らぎ始めています。
この状況が、いつまで続くかは分かりません。
だからこそ今、自分の才能が分からずに悩んでいる一人でも多くの人に、競プロやヒューリスティックコンテスト、Kaggleの存在を知ってもらいたい。
そして、自分自身の中にある可能性を見いだしてほしい。
そのような思いから、この文章を書きました。